「気づき」のきっかけに 教会長

 先日、中学1年生の授業で「信心する者は木の切り株に腰をおろして、休んでも立つ時にはお礼を言う心持ちになれよ」のみ教えを手がかりに、
「お世話になるもの(者・物)すべてにお礼を言う気持ちになる」ことの大切さをお話しした。そして「今から配る紙に、普段からあまりお礼を言うこと
がない人や物を、5分間の間に、いくつでもいいから書き出してみて」と、生徒たちに書いてもらった。
 まだまだ純粋な中1の生徒たちは、無心になって書いていた。「あと1分で先生に出してな」と言うと、「え〜〜、無理無理。いっぱいありすぎて、
時間足らんわ〜」とか言う生徒も。

 書き終えたみんなの書いたものを見ると、やはり目につくのは「お母さん」「お父さん」「家族」「ペット」「友達」「先生」「先輩」。そして「家」「服」「靴」
「かばん」。「臓器」「学校に来られている自分」「神様」「先祖」…。まあいろいろ書いてくれている。
それらをきっかけに、「物にお礼を言っても、何も返事してくれへんけど、お礼を言う心になるって、物を大切にすることで表せるよね。物を大切に
すると、自分のところにずっと長くいてくれる。それは、物に好かれるってことやね。ということは、人を大切にすると、自分も大切にしてもらえる。
人に好かれるってことにつながるよね。」という話をしつつ、「私がお話をさせていただくことで、この生徒たちが、大切なこと気づかせてもらえるきっ
かけが生まれますように」と祈らせていただきながら授業を展開した。

 これも先日の朝、近鉄で事故があり、私の乗った電車が途中の大和八木駅で運転打ち切りになった。定時に学校に着けないかも知れないと
、焦る気持ちと、事故で仕方ないと思う中、携帯電話で学校と連絡をとっている時、今までなら「早よ電車動けよ!」と思うところを、不思議に
イライラせず「携帯電話さん、あなたのおかげで、いながらにして学校に状況説明ができます。ありがとう」という気持ちが先に出た。そして「ホーム
に下ろされた人たちが、必要以上にイライラすることなく、みんなできるだけ早く目的地へ到着できますように」と願わせていただいた。ホームで罵声
を上げる人もなく、予想以上に復旧が早く、ギリギリながら学校に間に合った。

 その後、毎日、電車が定時運行されることにお礼の気持ちを持つようになった。
「あたりまえがありがたい」
 常に気づきのきっかけを下さっている神様からのサイン。見逃さないようにしたい。  

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